支援しすぎない支援―「してあげる」が生活を奪うとき
―「してあげる」が生活を奪うとき
「買い物、車で連れていきましょうか?」
「お願いします」
こんなやり取りは、グループホームではよくあります。
自分で買い物に行ける人でも、車で送ってあげれば楽です。職員も短時間で済みます。
掃除も同じです。本人が時間をかけて掃除するより、職員がやった方が早くてきれいです。
つまり、してあげた方が、本人にも職員にも楽なのです。
私自身、そんな支援をしてきました。
でも、それで本当によかったのかな、と考えることがあります。
「よかれと思って」が余計なお世話に
あるとき、夜になっても洗濯物を干したままにしている利用者さんに、そのことを伝えました。
すると、怒られてしまいました。
こちらは、よかれと思って言ったのです。
でも、よく考えれば、洗濯物をいつ取り込むかは、その人の生活です。
私たちは、つい自分たちの生活習慣を「普通」だと思い、それに合わせてもらおうとします。
本人の生活を支えているつもりが、本人の生活に口を出しているだけになっていないか。
そんなことを考えさせられました。

何でも本人に任せればよいわけでもない
一方で、支援を控えすぎることにも問題があります。
以前、利用者さんが調理中に火災報知器を作動させ、消防車が来たことがありました。幸い火事ではありませんでした。
病院では調理ができると評価されていた方です。でも、実際の暮らしの中では難しいこともあったのです。
その後、私たちは調理を代わりにするのではなく、食材を小分けにして保存する部分を手伝うことにしました。
本人ができることまで奪わず、難しい部分だけ支える。
これも「支援しすぎない支援」だと思います。
支援の量は、いつも同じでなくていい
「支援しすぎない」というと、何でも本人にやってもらうことだと思われるかもしれません。
でも、そうではありません。
普段は一人で買い物に行ける人でも、体調が悪い日は送迎が必要かもしれません。
昨日はできたことが、今日は難しいこともあります。
私たちは、毎日同じ量の支援をする必要はないと思っています。
本人の状態や生活に合わせて、支援を増やしたり減らしたりする。
そして、できれば本人と一緒に、その方法を考える。
それが生活支援ではないでしょうか。

本人の生活に、何を残すか
買い物も、掃除も、料理も、その人の生活です。
職員が代わりにすれば、早く済むこともあります。本人も楽かもしれません。
でも、支援者が便利になることと、本人の暮らしが豊かになることは、同じではありません。
「これは、本当に私たちがする必要があるのかな?」
これからも、そんな問いを持ちながら支援していきたいと思います。

